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help リーダーに追加 RSS 正直と馬鹿正直と方便

<<   作成日時 : 2007/12/09 21:30   >>

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 『正直の頭に神宿る』ということわざがある。意味としてはこうなる。

 神様は正直者を見守っていてくださり、必ずその加護があるということ。
『新編 故事ことわざ辞典』より

 一応別解釈もある。「正直者は神仏のように尊い」という解釈だが、どちらかというと、上記の解釈が一般的らしい。どちらにしろ、人は正直であれ、という事を子供に教える為に出来たことわざなのかもしれない。如何にも道徳の時間にでも使われそうなことわざであり、拒否反応を示してしまいそうな私がいるが(笑)。

 まあ、子供に言うならば、基本的にはそういう風に正直者である事を勧めたい所ではある。しかし、確かに嘘つきは困るが、本当に正直者が良いかというと、一概にそうとも言えないと思っている。これは二つのことわざがある事からも間違っていないと思っている。一つは「正直者が馬鹿を見る」であり、もう一つは「嘘も方便」である。

 まず、「正直者が馬鹿を見る」の方だが、現実問題、あまり正直に過ぎる人は、騙されて損をするのがオチではないかと思う。真面目に会社に通い、一生懸命やっている人間が過労死し、適当にさぼりながら要領良くやってる人間がおいしい目にありつける、とかね。正直な人間が損をしている事を表している訳だな。

 そして、「嘘も方便」の方だが、解釈としては、『嘘をつくのは勿論悪いことだが、時と場合によっては、物事を円滑に進める為の手段として必要な事もある』となる。この方便っていうのは、本来仏教の教えらしい。意味は、一般大衆を救って悟りの世界へ導く為には、仏も嘘を用いたという事らしい。

 結局、馬鹿正直なだけが正しい訳では無いのだな。ただ、前者の場合は、正直にやるより要領良くやってる方が得してるよ、という事実を示しているのに対し、後者は「正直が正しい」という前提があり、その上で現実ではそれだけでは無く、物事を円滑に進める為に嘘が許される場面もある、という事を示している。

 いつも正直だから、と言ってもそれがその人を幸せにしてくれるとは限らない。私は神を信じてないので、神様なんてのはいつも沈黙しているだけで、動く時は世界が滅びる時ぐらいじゃないか、と罰当たりな事を考えてしまうが、実際に神様がいつも見ていてくれるから、だけではとても正直(だけ)に生きてはいられないだろう。

 ところが世の中にはとても正直な人もいる。余計な事も正直に喋ってしまう困った性格の人だが……そういう人は馬鹿正直と呼ばれる。馬鹿が付くほど正直であるという事は、つまりは馬鹿なんだよな(笑)。

 さて、世の中には、正しくないけど悪くもない事もあると思う。つまり正しくなければすぐに悪いとも決めつけられないわけだ。そんな中、いつも正しく生きていく事で、神様から加護があるかもしれないが、人として生きていく上で、時に正直なだけが人生では無いと感じる事もあるだろう。また、何が正しいか何が悪いかも分からない我々が、いつも真っ直ぐになど生きることは出来ないのでは無いか、などと益々悲観的な事を考えたりもする。

 まあ、そんな風に考えながらも、基本的には正直者であるべきなんだろうな。その上で馬鹿正直にならず、時と場合によっては方便と割り切って、正直者で無くなるのも正しいのでは無いだろうか。それはただ嘘つきになるという事では無く、正しい方向へと物事を導く為の、やむを得ない行動であり、いたずらに嘘をつく訳では無いのだから。それは、正直者も取れる行動になるのではないかな。

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[コラム・エッセイ]正直と馬鹿正直と方便 - ひとりごと
 「正直の頭に神宿る」「正直者が馬鹿を見る」「嘘も方便」の3つの諺を元に、展開した雑文。正直であるべきだとは思うけれど、馬鹿正直なのもどうかねと。また、正しい事を行う為に全てが正直であるべきではなく、時には嘘も必要だよねと。正しくも悪くもない事もあるよね ...続きを見る
明日は明日の風が吹く
2007/12/09 23:15

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