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実は、まなめさんの「相手の劣勢を指摘することが自分の優位性を確立するという勘違い [304 Not Modified]」にトラックバックしたくて、でも考えが纏まらなくてそのままになっていた。そうしたらTBにこのような文章があった。 ◆責難は成事にあらず [undercurrent] 今回この文章を読んでやっと纏まった。というより、まなめさんの文章にしても、鈴実さんの文章にしても、全肯定になってしまいそうだ。 まず、鈴実さんの文章を読んで、自分の考えが集約されると思ったのがこの部分。 否定的な思考による価値の切り下げなど、簡単にできることです。問題となるのは、その先を示せるかどうか、価値の再構成や意味性の創造を行なえるかどうかであり、そうしたことをなしえて、はじめてそれが「成事」となるのです。 この前にも色々と説明があって、この部分が結論にあたる訳なんだが、凄く分かり易く納得出来る。否定して壊す事では無く、創りあげようという事は、難しいけれど意識しなくてはいけないと思う。 議論する以上は、相手の発言の意味を理解し、間違いがあれば正し、疑問があれば確認し、そして自分の意見を言う事になる。本筋は何か、より良い方向に進むにはどうしたら良いか、それらを意識しつつ、否定するだけでは無く、それをより良い方向に持っていく事を意識しなくては、不毛な議論になってしまいそうだ。 まなめさんが書かれている 「否定されるのが怖い」人たちと、「間違った部分を探すことが正しいと思っている」人たちばかりでは、何も生まれない。 というのも、その事を指しているのだと思う。良い部分を認め、それを取り込んで更に成長する事を考えた方が良い……ってそのまま書かれているな。でも、実際思うが、否定したがる人は多い。それが偉いんだと思っているとしか思えないような人もいる。それで何が生まれるか? ただ無駄な議論の時間が浪費されただけで、全く意味が無い。 現状の把握と、そこからどうしたら良いかの各自の意見を纏めて、そこから一番良い方法を模索する方が余程建設的に思う。多少おかしな点はあっても、本質としてその方向性が面白そうだとか良さそうだとか、そういう部分まで理解した上で、微調整をかけつつ前に進むようにした方がどれだけ建設的か。 私は「否定されるのが怖い」人なので、あまり強い口調(文体)では発言をしていない。したくても出来ない。それでも書いてしまうのは、否定される事よりも思う事を言いたい(書きたい)という欲求の方が強いから。だから、人がおかしな事を書いていても、「それは○○じゃないですか?」とか出来る限り柔らかに書くように努力はしている。意味がよく分からない文章を読んで、それでスルー出来ない何かを感じたら質問するようにもしている。 陳腐な言い方かも知れないけれど、完璧な人なんて何処にもいないのだから、欠点を見つけてそこを攻撃していても仕方が無い。攻撃する側にしても同じ様に何か欠点があるのだから。勿論、欠点を直す努力は必要だけれど、議論の本質は互いの意見を出し合って、一番良い結論を見つけ出す事の筈。戦いでは無くて、話し合いだと思う。 そう考えれば、相手の否定や、相手の細かい間違いの指摘に終始するのでは無く、本質を理解し、それに自分の考えを掛け合わせ、今より少しでも前に進めるような結論を見つける事が重要だと思う。相手の発言の9割が間違っていても、1割良いと思えるところがあるならば、その人の考えとしてその部分を取り入れて、全体としては今よりも一歩でも前に進める結論が出せれば、それが良いのではないだろうか? |
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はじめまして。こちらのブログは時折読んでおりました。トラックバック、ありがとうございます。 |
鈴実 2005/11/09 03:02 |
いきなりTBさせて頂きました。コメントも頂けて嬉しいです。 |
☆YAS!☆ 2005/11/10 00:05 |
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